
オリンピックは、開催国や開催都市の発展を世界に示すショーケースだ。特に、開発途上国や戦後復興を遂げた国々にとっては、その成果を「お披露目」する場として活用されてきた側面がある。21世紀に入ってからでは、2008年の北京五輪がその典型例。そして1964年の東京五輪もまた、戦後からの復興を象徴するイベントであった。一方で、1972年のミュンヘン五輪が示した「発展」は、それらとは異なる性質を持っていた。それは、技術や経済力ではなく、「生活の質」と「持続可能性」に焦点を当てた都市開発の姿だった。ミュンヘン五輪と歩行者ゾーンの関係を通じて、都市の成熟度や価値観の変化について考察する。
2025年3月11日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
1970年代にできたミュンヘンの歩行者ゾーン
1964年の東京オリンピックでは、新幹線や高速道路などが整備され、日本が戦後復興を遂げたことを世界に示す象徴的なインフラが作られた。これらは技術力と経済成長に象徴であり、日本が「近代化」を果たしたことをアピールする舞台となった。一方で、1972年のミュンヘンオリンピックは異なる形で都市開発を進める契機となった。その象徴的な成果が、市街地に設けられた「歩行者ゾーン」である。
ミュンヘンの歩行者ゾーンは、1972年にオリンピック開催に合わせて整備された。市内中心部であるマリエンプラッツからカールスプラッツまで続く主要な商業地帯が歩行者ゾーンになっている。自動車交通を排除し、人々が自由に歩き回れる空間として設計された。今日主流となっている「人間中心」の都市設計という理念がここにはあった。

当時の歩行者ゾーンの新規性
ミュンヘンの歩行者ゾーンが誕生した背景には、1960年代後半から始まった包括的な近代化プログラムがある。当時、西ドイツ全体では「自動車中心」の都市計画が主流であり、多くの都市で道路拡張や高速道路建設が進められていた。ドイツをある種の理想として見る視点からはちょっと想像しにくいが「自動車に優しい都市づくり」が1950年代、60年代には幅を利かせていた。それだけにミュンヘンのプログラムは画期的だった。
この転換点となったのが、「オープンプランニング」という概念である。これは、市民参加型の計画手法であり、市民や商業関係者など多様なステークホルダーが都市開発プロセスに関与する仕組みだった。特に、当時のミュンヘン市長ハンス=ヨッヘン・フォーゲルのリーダーシップが重要だった。彼は、オリンピック準備という大規模プロジェクトを利用して、自動車中心から人間中心へと都市計画を転換させた。
都市の成熟度が見える
1964年の東京五輪と1972年のミュンヘン五輪を比較すると、8年の違いがあるとはいえ、それぞれが示した「発展」の方向性には明確な違いが見られる。東京五輪では、新幹線や高速道路など、日本全体の経済復興と技術力向上を象徴するインフラ整備が中心だった。一方で、ミュンヘン五輪では、「生活の質」と「持続可能性」に焦点が当てられた。
この違いは、日本とドイツそれぞれの都市発展段階からある程度説明がつく。日本は1964年当時、高度経済成長期にあり、「技術」と「経済力」を世界に示す必要性があった。それに対し、西ドイツ、とりわけミュンヘンは、19世紀以来続く工業化と都市化によって既に一定程度成熟しており、「都市はどうあるべきか」という議論が1960年代から進んでいた。そして、人間中心の都市づくり理念が採用されたかたちだ。
整理しておこう、初期モダニズムと再帰的近代化
概念的に整理すると、東京が見せた発展とは技術革新や経済成長を中心に据えた発展モデルを指し、機能性と効率性を重視する「初期のモダニズム」的発想と言える。それに対してミュンヘンが見せたのは、ウルリヒ・ベックが指摘する「再帰的近代化」の萌芽と捉えることができるだろう。
再帰的近代化とは、近代化の過程で生じたリスクや副作用を認識し、それらを克服するために、自己反省的なプロセスを通じて社会や制度を再構築しようとする試みを指す。ミュンヘンの歩行者ゾーンは、自動車中心の都市計画がもたらす問題に対処し、人間中心の都市空間を作った。持続可能で質の高い都市生活の実装化という、今日の主流の考え方の嚆矢といえるだろう。

ところで、20世紀最後半には、歩行者ゾーンの改修が行われた。その記念碑(写真下)には小売店協会と市民の支援によるものであると書かれている。「オープンプランニング」が息づいているのが伺える。(了)

参考文献
Süddeutsche Zeitung. “München: Die großen Projekte des Hans-Jochen Vogel.” Süddeutsche Zeitung, 2. Februar 2016. リンク
Landeshauptstadt München. “Hans-Jochen-Vogel-Platz.” Muenchen.de, n.d. リンク
München Tourismus. “Fußgängerzone München.” Muenchen.travel, n.d. リンク
Landeshauptstadt München. “Stadtgeschichte.” Muenchen.de, n.d. リンク
Landeshauptstadt München. “50 Jahre Olympische Spiele – Jubiläumsprogramm/Olympia 1972.” Muenchen.de, n.d. リンク
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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか