
2000年代初頭、私はドイツに拠点を移した。そのため21世紀の新しい日本語は、ネットで知ることが多い。日本社会の細やかな文脈を把握していないため、「なんだそれ?」と感じることもある。今回は『百条委員会』をとりあげる。
2025年3月7日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
百条委員会の制度は戦後からのものだが、聞いた記憶がない。21世紀に入って、その名を頻繁に耳にするようになった。
名称の仰々しさは、時代劇のような印象を与える。名称の由来は地方自治法第100条にあるというが、命名した人は仰々しくなるようわざと100条にしたようにさえ思う。
責任ある立場の人々へのチェック機能強化は「前進」と言えるだろうが、同じく21世紀に出てきたモンスターペアレンツやカスタマーハラスメントといった対話性のない日本語の登場とイメージが重なり、口語的にいう「吊し上げ」の印象が少なからずある。
この違和感の根底にあるのは、日本は法治国家で、民主主義の国であるにもかかわらず、実際の地域社会にそれらの概念が適切かつ末端にまで実装化されていないからだ。これはドイツの地方の実態と突き合わせるとよくわかる。(拙著『ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか』にわりとその辺のことを書いている)
そして、「プリミティブな村」の実態は薄れつつあるのに、「空気を読む」という非公式で属人的な関係性が根強く残っている。
もっとも百条委員会の実際を私は把握していない。だから推測レベルの発言をご容赦いただきたいのだが、形式的な民主主義と、実質的な人間関係のねじれ現象がひょっとしてこの言葉から見出せるかもしれない。そして日本の20世紀・21世紀の社会変容を考察できそうに思える。(了)
高松 平藏 (たかまつへいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。地方の「都市発展」がテーマ。プロフィールの詳細はこちら。執筆・講演依頼などはこちら。このサイトの運営者