
ドイツの都市の中心市街地は、商業空間であるが、それ以上の価値と機能がある。とりわけ民主主義の生きた舞台であり、政治的議論のメディアとして機能している。2月23日の連邦議会選挙を前に、エアランゲン市(人口12万人、バイエルン州)の中心部で起きた出来事を通じて、ドイツの公共空間が持つ特異な役割を探る。なお、本稿の写真は全て同市の歩行者ゾーンで撮影した。距離にして約500mである。
2025年2月19日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
多機能な公共空間としての市街中心地
ドイツの都市構造は日本と基本的にかなり異なる。中心市街地は都市の発祥地で、歩行者ゾーンになっている都市が多い。商業以外に文化や社交などの機能がある。エアランゲン市の中心市街地には約500メートルにわたる歩行者ゾーンがある。この多機能性から言えば、単純に移動のためだけの道路ではない。「長細い公園」のような高い「滞在の質」を訪問者に提供している。

この空間設計には歴史的背景がある。1960年代から70年代にかけて、モータリゼーションへの対応と歴史的都市核の保存を目的に、多くのドイツの都市で中心部の歩行者空間化が進められた。エアランゲンもその例外ではない。
結果として生まれた空間は、単なる商業地区ではない。店舗やレストランに加え、文化施設、公共サービス、行政機関が混在する。この多機能性が、多様な社会集団の交流を促進し、都市の活力を生み出している。
政治的議論の舞台としての市街中心地
2025年2月15日、連邦議会選挙を目前に控えたエアランゲンの中心部は、ドイツの政治的縮図と化した。歩行者ゾーンには各政党の情報スタンドが立ち並び、市民との直接対話が繰り広げられた。

特に注目を集めたのは、極右政党AfD(ドイツのための選択肢)のスタンドだ(下写真)。フェンスで囲まれ、反対派に取り囲まれる中、警察が厳重に警備する様子は、ドイツ社会の深い分断を象徴していた。
AfDは2013年の設立以来、ユーロ懐疑派から極右政党へと変貌を遂げ、現在は憲法擁護庁の監視下にある。その主張—民族主義的ナショナリズム、多文化主義の拒否、イスラム嫌悪、ナチス時代の相対化、気候変動否定、反EU—は、戦後ドイツの民主主義の根幹を揺るがすものとして、多くの地方都市で市民運動が活発化。厳しい表現をすれば、民主主義という価値観を守ろうとする一種の「価値観の市民戦争」の状態だ。後世には「2020年代は民主主義の危機の時代」と教科書に載るのではないかと思わせる様相だ。

一方で、労働組合Verdiや「右翼に反対するおばあちゃんたち」といった市民団体も独自のテントを設置。さらに、歩行者ゾーンと接続している広場では、LGBTQコミュニティによる「愛を選ぼう」デモも行われた。もちろん極右政党に対する明確な反対であり、約350人が参加。市長や前副市長、エアランゲン大学学長らも演説を行った。この光景は、市街中心地が多様な政治的立場の表現の場となっていることを如実に示している。

メディアとしての市街中心地、民主主義という文脈での公共空間

ドイツの市街中心地は、それ自体がメディアとして機能している。政党、団体、デモ参加者の物理的な存在が、抽象的な政治概念を市民にとって具体的で体験可能なものにしているのだ。
この直接性と可視性は、ドイツの民主主義文化の本質的な部分を成している。政治的議論が公の場で可視化されるという点だ。
エアランゲンでは年間約200件のデモが行われている。そのほとんどが市街中心地だと思われる、市街中心地が政治的・社会的議論の場として中心的な役割を果たしていることを示している。これらのデモは、地域の問題から気候変動や国際紛争まで、幅広いテーマをカバーしている。
しかし、この開かれた議論の場は、同時に社会の分断も浮き彫りにしている。AfDのスタンド保護と反対派のデモ権保障の両立は、公共空間の政治利用に伴う課題を示している。
以上のことから、ドイツの市街中心地は、民主主義の生きたメディアとして機能している。それは社会的議論を映し出す鏡であり、開かれた社会の価値観が日々実践される場所だ。そして民主主義という文脈での公共空間のあり方を表している。(了)


著書紹介(詳しくはこちら)
エアランゲンの取材・調査を元にこんな本を書きました。

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら