ドイツのエアランゲン市(人口12万人、バイエルン州)でこのほどコミックやマンガの祭典「国際コミックサロン」が開催された。京都から招聘されたイラストレーターでスケッチャーのタケウマさんによると、日本での公共空間でのスケッチが制限されていることが少なくないという。


スケッチ愛好家のジレンマ


文化フェスとしてのコミックサロンの「ドイツらしさ」を書いた記事はこちら(東洋経済オンライン寄稿記事)

2年ごとに行われるコミックのフェスティバルは5月30日から6月2日にかけて開催された。この期間、原画展や映画の上映、講演、ワークショップなど様々なプログラムが組まれるが、今回は初めて「アーバンスケッチング」という現象に着目された。

このムーブメントは世界的なコミュニティになっており、フェスティバルでアーバンスケッチのプログラムが組まれた。その講演・ワークショップのために京都からタケウマさんが招聘された。講演ではスケッチのヒントを楽しく語ったが、最後にこう締めくくった。

「日本でスケッチをする際は、迷惑がかからないように配慮してほしい」

これに対して客席は「ん、どういうこと?」という様子。ドイツの聴衆にとってはわかりにくいようだった。

ワークショップはスケッチの途中で雨が降る可能性が高かったので屋内の窓から行うことになった。タケウマさん自身もスケッチを楽しむ。(6月2日 筆者撮影)

それもそのはず。この発言は日本の公共空間ではスケッチが難しさを背景にしたものだからだろう。同氏によると、そもそもスケッチが制限されているところが多い上、スケッチ可能な場所でも、一度苦情が出ると禁止されることもある。そのため愛好家たちは消しゴムのカスや鉛筆の削りカスを持ち帰るなどの配慮が求められるという。

美術館でも同様の問題が生じている。日本の美術館では写生が制限されることが多く、その理由は画材による汚れを避けるため。ではiPadだと大丈夫かと言えばそれもダメになる。制限理由に整合性が取れておらず、「思考停止に近い」とタケウマさんは指摘する。


リラックスと創造性を重視するドイツの公共空間


それに対して、ドイツをはじめ、欧州の公共空間はオープンな傾向が強い。その代表格である中心市街地は「すべての人々のための空間」と位置付けられ、「滞在の質」が重要視されている。

滞在の質の基本的なところは次の2点に絞ることができる。

  1. 安全性:公共衛生が保たれ、暴力の脅威が少ない等
  2. 安心感:皮膚の色などが異なっていても平等に扱われ、発言の内容が権力にコントロールされることがない等

その上で質の向上が図られる。すなわち緑が豊富であり、ベンチなどが設置されていることでリラックスでき、他者と知り合うことや、人々の交流、そして創造的な活動の場として機能することだ。少なくとも中心市街地にはそういう期待がある。

「国際コミックサロン」はじめ、多くの文化や芸術のフェスティバルが中心市街地で開催されるが、このような理念と重なっている。タケウマさんの講演で、最後の言葉が伝わりにくかったのも、この文化の違いが影響している可能性がある。

タケウマさんと、スケッチのワークショップに臨む参加者。「スケッチャー歴」の長そうな人も多かった。(6月2日 筆者撮影)

公共空間を発展させる可能性


日本とドイツでの公共空間の違いは都市の発展経緯の違いといった歴史的背景などによるものだ。コントラストを大きくすると、日本は創造性や自由よりも、安全や秩序へ期待が過剰にある。それを守ることが優先されやすく、乱すと「物言い」をつける人が出てくるという構造だ。別の視点から言えば、昨今の日本社会は治安がよいなどの一定の「安定性」はあるが、「ダイナミズム」に欠けているように見える。これが公共空間にも反映されているようにも思える。

公共空間のあり方は、人々のニーズや期待が反映される。それだけに時代とともに変化すべきだろう。タケウマさんの問題意識を言い換えると、日本は、安全、秩序、プライバシーを維持しつつ、創造的な表現と社会的交流の場として公共空間を促進するという課題に直面している形だ。

ひるがえって先述の美術館の写生禁止に伴う「思考停止」に対して、タケウマさんは理詰めで抗議するのではなく、スケッチャー側も「迷惑をかけない人たち」「配慮をする人たち」という認識をしてもらう努力をすることが重要だという。そして講演など、機会があるごとにスケッチャーたちにその考えを説いている。こんな同氏の活動が少しずつ日本の公共空間を発展させていく可能性はある。(了)


●タケウマさんのサイト Studio-Takeumaはこちら

●ドイツでのスケッチも公開されている。閲覧はこちら


高松平藏の著書紹介(詳しくはこちら
地方都市の中心市街地はどう使われている? 


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら