2025年1月12日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
未来の教科書に、2020年代は「民主主義の危機だった」と書かれるかもしれない。
民主主義に成分表があるとするなら、自由、平等、連帯などの社会正義がぎっしり詰まっている。そして事実に基づき自由に意見交換ができるから民主主義が健全に動く。
この観点から言えば、年が明けて、ドナルド・トランプ、イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグの動向は報道で見る限り、民主主義の弱体化につながるような動きに見える。自由市場経済と民主主義は本来相性が良いはずだが、どういうわけか、「自由市場経済の三銃士」が民主主義を壊そうとしている格好だ。
なぜ民主主義は戦うのか?
ヨーロッパに目を転じる。例えばドイツでは、ここ数年「民主主義の価値観をめぐる市民戦争」の状態だ。極右政党の台頭により、政治的議論は二極化し、中道政党への信頼は損なわれている。反民主的な運動が影響力を増し、法の支配を危険にさらしている。こういう傾向が2024年はより顕著になった。
とりわけ、最近の報道ではイーロン・マスク氏がドイツの極右政党に好意的な態度を示している。政党の過激な見解を支持する形で、「自由市場経済の三銃士」の一人が、「民主主義の価値観をめぐる市民戦争」に対して火に油を注ぐ展開も考えられる。
民主主義には完成形はなく、常に堅牢性を確保する必要がある。例えばナチスは当時民主主義の脆弱性をついた。これを受けて第二次世界大戦以来、ドイツは民主主義の強化に取り組んできた。自由を破壊するという「自由」は認めない「戦闘的民主主義」という概念はその代表格。そしてこの概念の元に極右勢力と対峙しているのが「市民戦争」の構造だ。
長いプロセスであることを忘れないほうがいい
日本の民主主義は社会的に内面化されていないとう問題はあるにせよ、私自身、基本的には自由が空気のようにある国で育った。現在の拠点であるドイツも同様だ。それだけに民主主義が破壊されることを望んでいない。
民主主義において、「私という個人」と「他の個人」の関係は、お互い最低限の敬意を払いながら、自由に意見交換をし、自分の意見を深め、意見形成を行い、また意見交換を行う。そして社会全体にとって良いこと(共通善)を考えながら妥協していく。対面でもネットでも、この基本をより確認することが大切だろう。そして、これは独裁者が独断で瞬時に決めていくのとは対極的で、長い時間がかかる。 その点「タイパ」などの最近の流行語は実は全く合わない。
ところでドイツの町を見ると、100年、200年、いやそれ以上の年月をかけて作られた歴史的建物がたくさんある。これを見ると、民主主義という長いプロセスも本来、問題なくやっていけそうに思えるのだ。これを楽観的な手がかりとして考えたい。(了)
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執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら