ドイツの女性と若者が堂々としているその理由

美濃加茂市の市長、藤井浩人さんとドイツ・エアランゲン市(人口12万人、バイエルン州)の市街中心地を歩いた。日独の両方の自治体を念頭におきながら「インターローカル」な意見交換を行った。これを受けて3回に渡り対話とデモクラシーについてお送りする。初回は都市計画には歴史や価値観が伴うべきだということを話した。前回はデモクラシーの基本である「対話」を進める上で何が大切なのを考えた。最終回の第3回目は人々の態度と中心市街地の役割について考える。


「ログイン」「ログアウト」の区切りがあるドイツの対話


藤井:ドイツの時間感覚はとてもゆとりがありますね。例えばエアランゲンの町でアイスクリーム屋さんへ入りましたが、私は注文にもたついた。気がつくと後ろに人がいたんですけど、ずっと待ってくださっていたのが印象的でした。

高松:私も最初、日本より忍耐強いと感じました。ドイツの人々は対面で話す時、「ログイン」して、しっかり目を見て話す。そして話が終われば「ログアウト」する。そういう感覚で他人と接している印象を持っています。

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藤井浩人(ふじい ひろと)
美濃加茂市長(4期目)。26歳で市議、28歳で市長初当選。大学院生時代の東南アジア周遊で日本の価値を実感し、社会貢献を志して政治家に。市民との対話を重視し、SNSでの情報発信も多い。これらを通して透明性ある市政を目指す。1984年生まれ。

藤井:なるほど。日本人にそういう感覚はないですね。だから前の人が遅いとイライラしだす。

高松:パーティーの時、ドイツでも一人の人とちょっと話して、次にまた他の人と話すということは行われます。しかし「ログイン」「ログアウト」というような感覚があるせいか、しっかり聞いてくれていると感じることが多い。

藤井:ああ、わかります。苦笑

高松:逆のことを申し上げると、日本のことをよく知るドイツの方などは、「日本人は人の話を聞かない」「何回も同じ話をしなければならない」といいます。

藤井:なるほど。それも相手との信頼関係。相手に対する尊重がないようなところがあるのかもしれません。

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高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。


女性が堂々としているドイツ


藤井:ドイツの街を歩いていて感じたのが、女性が堂々としていることでした。日本の女性はまだまだ奥ゆかしさがあって、それが生きづらさになっているのかもしれません。宿泊先の街でサウナを利用したのですが、男女が裸で一緒に入るでしょ。話には聞いていたけど結構カルチャーショックでした。

高松:はい。笑

藤井:また早朝にランニングしたところ、すれ違ったランナーの7割方は女性です。街の中でも食事したり、自転車に乗っている女性たちの雰囲気が、ずいぶん生き生きされているという印象を受けました。

高松:なるほど、興味深い指摘です。ただ、長くドイツにいると、それが普通になってしまうので・・・。笑

エアランゲン市の中心市街地

「させて頂く」の多用はデモクラシーにとって弊害だ


藤井:そりゃそうですね(笑)。しかし女性だけでなく、子供も堂々としています

高松:日本とドイツの若者を比べた時にね、日本の若者のほうが子供っぽく感じます。その理由は、ドイツの若者のほうがしっかり考えてるとか、難しいこと知ってるとかじゃない。自信を持ってるということなんです。

藤井:なるほど。

高松:日本の若者も自信を持っている人もいるでしょう。しかし能動的であることに対してすごく控えめ。これは一般の大人もそうなんですけど、一日に何回「させて頂きます」と言ってるでしょうか? もちろん、この言い方は日本社会の文脈の中にあるものですので、適切な時もある。でも必要のない時でさえ使われている。

藤井:おそらく私は一日、40回ぐらいは言ってます。えらそうに聞こえないようにしてるということですね。

高松:わからないわけではありませんが、あまりにも受動的な言い方が多いと自信が無いようにすら見えるわけです。もう一歩踏み込むと「させて頂きます」っていうのをデモクラシーと紐づけて行くとね、その基礎である「対話」の質的な部分にものすごく弊害があるように思います。

藤井:無駄な謙遜で、空気を読むという文化ですね。


若者が堂々としているのは、学校教育にある


スポーツを通して、ドイツの子供達はデモクラシー社会での振る舞いを学んでいく。「ドイツの学校にはなぜ『部活』がないのか」(高松 平藏 著 晃洋書房)で、なぜそうなるかに迫っている。まずは書評をご一読ください。

高松:ドイツ語でも丁寧な言い方はありますが、基本的に小学生の時からの訓練が大きいと思います。例えば学校の成績は、ペーパーテストの得点のみならず、授業中どれだけ発言しているかも評価対象です。そうなると堂々と話すっていうのが、ごく普通のことになってくる。

藤井:それは生きて行く上で大事な話だし、個人だけじゃなくて民主主義を担保することになりますね。日本に目を転じると「サイレントマジョリティ」が多い。賛成者は意見を言わないため、反対意見ばかりに注目が集まる。意見を言わない美徳は民主主義とマッチしないですよね。

高松:ドイツにもサイレントマジョリティが全くないとは言えないと思います。しかし、基本的な考え方は、誰でも自由に意見を述べることができる。これが原則です。

藤井:そう言うトレーニングというのは、日本人は慣れていない。

高松:そうですね。

藤井:それから、子供が発言できる環境作りは、子どもの人権を尊重するということでもある。

高松:はい。子供でもしっかり意見を言って、周りはそれを遮らずにちゃんと聞く。それに対して違う意見があればちゃんと言えばいいわけです。


中心市街地が公共の言論空間になっている


高松:ここで、一緒に歩いたエアランゲンの中心市街地と民主主義の対話を関連付けて考えてみましょうか。

藤井:そうですね。

高松:中心市街地は歩行者ゾーンになっていて、広場もある求心力がある空間です。さらに歴史的建造物が並び、小売店や庁舎をはじめ、図書館や劇場などの文化施設があります。

藤井:実際に歩いたところですね。

高松:はい。それでね、例えばデモをするのもあの空間です。意見を大勢で表明するという意味では中心市街地がメディアとして機能している。また選挙期間は中心市街地に政党がブースを出して、道行く人にチラシを渡したり、市民が政党スタッフや候補者が直接話す。そこでも「ログイン・ログアウト」のような対面関係効いている。そんな様子を俯瞰してみると、中心市街地は公共の言論空間にもなっているかたちです。

ドイツの選挙運動。中心市街地で各政党がブースを作り、町行く人とスタッフや候補者が直接対話を行う。政治的な公共の言論空間になる。(写真=エアランゲン市)

人がクルマから降りると、街が賑わう


藤井:なるほどまさにリアル版ポータルエリアですね。郊外にはスーパーなどもありましたが、それは買い物するだけの場所。ところが中心市街地に来ることで他者との会話が出来るとか、街に「ログイン」できるような機能があるということですね。

高松:そうです。でも、クルマを入れちゃうともうそれできなくなる。

藤井:日本は中心市街地にクルマが入ってくるからね。

高松:そうそう。苦笑

藤井:エアランゲンの中心市街地の人通りの多さを見てすごいと思った。でも同時に、美濃加茂市でも、スーパーなどに来ているクルマから全員降りたら、かなり人がいるはずなんです。人が歩くから賑わっているように見える。ドイツの中心市街地は「社会のリビングルーム」と表現されるとのことですが、「リビングルーム」をどこに設けるかは大切ですね。

高松:そうですね。ドイツは「都市は赤の他人の集まり」であることに自覚的です。それだけに「知り合うきっかけ」をどう作るかは都市の基本的なテーマの一つです。

藤井:対話やデモクラシーを重視している国に見出せる考え方、これを日本に取り入れることで面白いまちづくりができる可能性がありそうです。(了)

対談の様子。左・藤井浩人さん、右・高松 平藏

ジャーナリストや一市民としては、政治家への賛成・批判は常にある。しかし、「人間」として接すると、日本でもドイツでも政治家の仕事は体力とメンタルの強さが求められる大変な職務であることはすぐにわかる。

さて今回話をした範囲で、市長としての藤井さんを応援したいと思ったのは、政治的対話を進めていらっしゃる点だ。日本は言うまでもなくデモクラシーの国だが、歴史的経緯から西欧からの「借り物」のようなところがある。だからこそ今日、デモクラシーが持つ良さを最大化することを考える局面にあると思う。

この時重要なことは、投票はデモクラシーという氷山の一角に過ぎないということだ。デモクラシーとは相互敬意のもと個人個人が自由に意見を述べ、共通善を念頭に置きながら妥協していく共生のプロセスである。今日、社会の価値観やテクノロジーがどんどん複雑化する中で、自分たちでそれらを判断して、ルールや枠組みを決めていかねばならない。

対談でも出てきたが、藤井さんは対話を重ねる重要性を強く意識し、そのための場所や機会を作ることに粘り強く取り組まれているようだ。これはデモクラシーの良さを引き出すための苗床づくりのようなものだと思う。(高松 平藏 )


高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら
エアランゲン市にフォーカスして、「都市の質」を検討しました