議論を始めることに意味がある
美濃加茂市の市長、藤井浩人さんとドイツ・エアランゲン市(人口12万人、バイエルン州)の市街中心地を歩いた。日独の両方の自治体を念頭におきながら「インターローカル」な意見交換を行った。これを受けて対話とデモクラシーについてお送りする。前回は都市計画には歴史や価値観が伴うべきだということを話した。第2回目はデモクラシーの基本である「対話」を進める上で何が大切なのを考える。
公開日:2024年9月20日 内容は対談日の2024年7月27日現在のもの
日本は「歪んだ個人主義」が強くなっている
藤井:ドイツでは、皆でルールを作り、それを守る意識が徹底しているように感じました。一方、日本ではルールが曖昧で、これまでは個人の主観や街の雰囲気で折り合いをつけてきましたが、最近は個人主義が強くなってきています。
高松:そうですか。日本の道路は歩行者・自転車・クルマが混在しているところが多いですが、子供が遊んでいると、最近はドライバーから通報があるとか。
藤井浩人(ふじい ひろと)
美濃加茂市長(4期目)。26歳で市議、28歳で市長初当選。大学院生時代の東南アジア周遊で日本の価値を実感し、社会貢献を志して政治家に。市民との対話を重視し、SNSでの情報発信も多い。これらを通して透明性ある市政を目指す。1984年生まれ。
藤井:はい。ドライバーが苦情を言いたくなるのもわかるのですが、同時に子供たちも配慮のない遊び方になっている可能性もあります。しかし以前は「お互い様」という言葉で補っていた。これが抜け落ちた結果、日本では、「民主主義=自由」と考える人が多い。この「自由」とは自己中心的な個人主義という意味です。しかし、お互いの自由をお互いで補完するようなことが大事です。
人格と人格における信頼が大切だ
高松:ドイツの自由という価値観を見ると、個人の自由は大切だけど、ほかの人の自由を邪魔しちゃいけない。これは自由の機会平等ですね。それから、車椅子の人がね、上の階に行きたい時、これは移動の自由という権利の行使ということになります。でも自力では行けない。その時に隣にいた人が誰かに強制されるでもなく、自己決定でヒョイっと手伝ってあげる。これが社会的連帯っていうやつですね。「自由」が他の価値観と組み合わさって、より次元の高いものになっています。
藤井:なるほど。
高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。
高松:こういう説明をすると素晴らしい社会に見えますが、それは複数の価値観が上手くかみ合って、実行された状態の話です。ところが誰々にはこういう権利がある、義務がある、といったことだけが際立つと、現実から離れた議論や対立が出てきて、殺伐としてくる。そこで大切になるのが「信頼」。信頼があると複雑な問題も比較的シンプルに解決できます。
藤井:「信頼」という話になってくると、人間臭さとか。論理的じゃない部分が出てきますね。
高松:はい。まずはお互い知り合うことが基本でしょう。対話に関して日本社会では相手の人格と意見を一緒くたにしやすいのでドロドロの対立状態になりやすい。それに対してドイツは人格と意見を分ける傾向が比較的強い。とはいえ、それでもやはり人格と人格の関係における信頼が大切です。
藤井:信頼とまで言わずとも、まずは尊重ですね。
相手を尊重しながら議論ができるか
藤井:対話という点で、日本の国会議員を見ると、議論はちゃんとやっているように思います。しかしニュースになるのは「浮気がばれた」「政務活動費の報告もれがあった」というような時だけ。人格否定して、まるで「いじめ」のような報道がワーっと集中的に行われる。報道の大切さは基本的にあるにせよ、こういう報じかたばかりでは「政治ってそういうもんだよね」と思う人が増える。
高松:政治で行われている「対話」については見えてこないというわけですね。
藤井:それから、役所内では部長や課長などの役職や、セクションがあります。会議ではフェアに意見を述べ合うべきで、意見の対立があってもあくまで議論。その会議が終わればいつもの人間関係に戻ればいい。そのあたりで信頼が大切ですね。
高松:はい。その点で、首長として、市民との対話をかなり意識されていますね。
藤井:市長になった時、「私と市民」「行政と市民」の対話を重視したんですよ。なぜならこれらの間に溝があると感じたからです。行政は行政で頑張ってるが、住民は不満を持ってる。ここを埋めるのが私の仕事だと思っているんです。
高松:なるほど。
藤井:最近は対話が不慣れな人が多いように感じます。以前は地域での対話があり、まとまりが重視されていましたが、昨今では住民同士の対話の機会がなく「行政 対 個人」で一部の人の意見ばかりが行政に届いているように感じる。これではいつまで経っても合意形成には至らない。住民同士が議論する場をもっと作っていきたい。でも振り返ってみるとそういう場ってあんまりないんですよね。
時間と労力をかけたコミュニケーションという「コスト」
藤井: 美濃加茂市では市役所の移転が課題になっています。どこへ移転するかということも大切なのですが、それ以上に「町と私たちにはどういう関係があるのか?」「町にはこういう役割がある?」「じゃあその町の中で市役所ってどういう役割を担う?」というような対話を、コンサルタントに手伝っていただく形で進めてきました。ところが多くの議員さんには「無駄な時間だ」と映る。ひいてはコンサルタントに関わる費用は市長の無駄遣いだということになるんです。
高松:つまりどういうことでしょう?
藤井:「早く決めること」がゴールになっているんです。市民の皆さんそれぞれの考えや、その答えに行き着く過程はどうでもいい。そんな考え方が、一部の人の間にはあるように思います。こんなことを言うと炎上しますけど。まあ、議論を喚起するという点では「炎上」した方が良いかもしれませんね。そのあたりはドイツではどうですか?
高松:物事を決める過程とデモクラシーを関連付けると、対話とは時間的にも労力という点でも必要なコストです。そしてドイツはものすごくかけているように思います。エアランゲンの中心市街地を見ると確かに秩序だった景観を形成していますよね。そしてそのメインストリートは歩行者ゾーンになっていますが、20年近くかけて作りました。
藤井:そうですか。
高松:最近ですと、近郊交通の課題が示唆的かもしれません。エアランゲンと隣接している都市にニュルンベルク(人口53万人)と、アディダスやプーマの本社があるヘルツォーゲンアウラッハ市(人口2万4000人)があります。そんな町にグローバル企業の本社があるというのも驚きでしょ。笑
藤井:はい、確かに。笑
高松:昔のドイツは「住んでいる町で働く」という傾向が強かったのですが、エアランゲンと隣接する都市との行き来が増え、通勤の渋滞が長年の問題になっているんです。その3市を結ぶ路面電車を作ろうというプランがあって、エアランゲンでは今年の6月に住民投票で建設が決定した。いつからカウントするかによって変わりますが、20年以上はかかっています。
急かされる日本
藤井:最初に議論を始めた人や、「こういうことを考えるべきだ」と言い出した人も、実行まで20年かかると考えているんでしょうか?
高松:さあ、どうでしょう。そこはわからないです。笑
藤井:日本では自分の任期以内に完成させないといけないという考え方があるんですよ。しかしね、今の話からは、議論を始めることに意味がある。これは政治家としてすごく大事な視点ですね。
高松:時間感覚という観点から言えば。ヨーロッパの石造りの教会などは200年、300年かけて作ってます。あれに比べれば大したことない。笑
藤井:そっか。それから考えると、「たった20年じゃないか」ということになりますね(笑)。現代は、工事が始まれば完成まで早い。むしろ、それまでの議論をしっかりしたいものです。(次回「ドイツの女性と若者が堂々としているその理由」に続く)
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エアランゲン市にフォーカスして、「都市の質」を検討しました