現在マドリードで活躍する元ドイツ代表サッカー選手、トニ・クロースが「ドイツは10年前とは違う国になった」と語る記事が話題を呼んでいる。彼に発言を元に、ドイツの人種差別問題について検討しておきたい。


クロースは移民問題について慎重に言葉を選びながら、政策の問題点を指摘。無秩序に大量の人々を受け入れると「良い人とそうでない人の区別」が困難になり、ドイツ社会がますます分裂することが課題、という趣旨のことを述べている。

確かに、私の周囲でも同様の懸念を抱く人がいる。ドイツ社会に積極的に参加せず、自由・平等、人間の尊厳といったドイツ社会で共有されている価値観を理解しようとしない人々がいるからだ。彼らはたいてい同じ出身者だけで固まり、自分たちの価値観を優先する傾向があるようだ。これらの人々が、クロースのいう「そうでない人」に該当するのかもしれない。

一方で、ドイツ社会自体にも問題がある。近年、人種差別的な傾向が強まっているのだ。最近では、イタリアのヒット曲のパロディーで人種差別的な表現が使われるケースも出てきた。残念ながら、私が住むエアランゲン市のビール祭りでも、今年はこうした事例が報告されている。

これは、人々が思いのほか簡単に人間の尊厳を踏みにじることができるということを示している。


ドイツ社会は過敏になっている


その一方で、外国人に関する正当な批判でさえ、人種差別主義者というレッテルを貼られかねない状況もある。つまり、外国人に関する評価に対して、ドイツ社会全体が過敏になっているのだ。

クロース氏の発言は個人の見解に過ぎないが、ドイツを離れて暮らしているからこそ、母国の社会変化を鋭敏に感じ取っているのかもしれない。彼が将来ドイツに戻りたくないと述べていることも、この文脈で理解できる。

この問題について、私は次のように考える。ドイツでは以前から移民・難民に対する「歓迎文化」の強化が叫ばれてきた。私もこれには賛成だが、同時に外国から来た人々の「参加文化」も推進する必要があるだろう。言語学習など様々なプログラムでドイツ社会への参加機会やデモクラシー(およびそれに内包されている自由などの価値観)の学習は提供されている。それにしても「歓迎文化」と「参加文化」をセットでより強く推進すべきだと考える。

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ところで、最後に余談だが、クロース氏の記事を読んで思ったことがある。それは日本のスポーツ選手やスポーツ団体の人物で、国や社会に対する見解をこのように述べることができる人はどのくらいいるかということだ。この日本とドイツの違いがなぜ起こるかは拙著「ドイツの学校にはなぜ『部活』がないのか」(晃洋書房)でも検討しているが、改めて気になった。(了)


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「スポーツクラブ文化」について、たっぷり書きました。

都市の魅力を高めるスポーツ
なぜ「脳筋」スポーツマンがいないのか?

執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。