大阪の地元紙「大阪日日新聞」が7月31日に休刊となった。新聞というオールドメディアの経営不振は久しく問題になっているが、ここで地方紙の重要性を再考しておきたい。
2023年8月4日 高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
大阪の地元紙「大阪日日新聞」が7月31日に休刊となった。同紙ホームページでは次のように書かれている。(2023年7月31日閲覧) <1911年に前身の「帝国新聞」として創刊されて以来、言論の灯を絶やすまいと紙面制作を続けて参りましたが、社会情勢の変化に伴うかつてない厳しい経営環境に直面し、休刊という決断に至りました。> https://www.nnn.co.jp/articles/-/65228
ところで、ドイツ地方都市は元気で、日本の都市と質的にも異なるように感じる。理由はいくつか挙げられるが、そのひとつが地域ジャーナリズムの有無だ。私が住む11万人の都市でも町の名前がついた新聞が発行されている。
日本にも地元紙クラスの新聞がないわけでもない。しかし、第二次世界大戦中に「一県一紙」という形で多数の新聞を統合された「新聞統制」という歴史がある。そのためドイツと比べると地域紙クラスの新聞は少ない。それだけに大阪日日新聞のような地元紙が消えゆくのは大変残念だ。
地域ジャーナリズムの原則とは?
ジャーナリズムもさまざまな定義があるが、本稿の地域デモクラシーとの関連性で言えば、原則的には次のようなことが重要になるだろう。
- 独立性:いうまでもなく、ジャーナリズムは独立していなければならない。メディアの運営方針としては編集権の独立が重要。これが権力の透明性を高めることにもつながる。
- 適時性:ジャーナリズムは社会の流動性の中で成り立っている。その点、最新の情報や時事問題を扱う。
- 事実:信頼できる情報源や調査で得た事実を報じる。しかしその事実に対して次のような要素も加える。
a. 事実に対して、どのような意見があるのかを紹介する。
b. 事実に対して、その背景や解釈、他の事実との関連性を示す。現時点あるいは将来に向けて、どのような意味があるのかを描き出す。これはジャーナリスト各自の専門性が発揮される部分である。逆に言えば、「事実」とジャーナリストの「意見・評価」を分けて理解できるような読解力が読者には求められる。
「メディア」と「ジャーナリズム」は分けて考えるべきだ
一方、日本を見ると、もっと、ジャーナリズムとメディアを分けて考えた方が良いと思われる。
ジャーナリズムは「イズム(主義)」なので、一定の哲学を持った情報の扱いを指す。それを具体化するのがテレビ、ラジオ、新聞、ネットなどの「メディア」である。それらの多くのメディアは市場経済の上で成り立っているため、継続的な経営に腐心し、インターネットの登場がその大きな脅威になっている構造だ。ドイツでも同様で、どの新聞社も苦労しているが、もう少し違う視野に立てば「ジャーナリズム」をどういう形で実現させるべきか、ということが現在の問いだと言える。
ひるがえって、これまでドイツの地域において、上記のようなジャーナリズムを具現化してきたのが地元紙というメディアである。その役割は次のようなものが挙げられるだろう。
(1)町の出来事の記録になり、さらには(2)地域の読者からの投稿が意見の多様化を促す。今風に言うと「元祖地域SNS」のような役割を果たしてきた。(3)またベテランのジャーナリストになると俯瞰的に地域社会を見ているため、現状に対する批判・評価を行うこともできる。
もちろん、理想的なジャーナリズムを新聞が具体化できるかどうかは大きな課題だ。それにしても地元紙があることで、コミュニティや地域プロジェクトに対し、市民の参加を促すこと。それに自分の意見形成につながり、「下からのデモクラシー」を強くする可能性がある。
ひるがえって、大阪日日新聞さんには、私も記事にして取り上げていただいたことがある。以下に3本掲載しておく。(了)
高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら)
ドイツの地方都市が元気なのは情報流通の豊富さにある
執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。