新しいテクノロジーが入り込む時は、致命的に安全性の欠如したものは普及しないと考えられる。それでも行動様式や社会の変化が見込まれ、そこに悲観部分もあるが、人間自身が鍛えることでわりと上手くいく部分も増えるのではないか。
2023年4月3日 高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
90歳でも隣町の恋人のところへお茶を飲みに行ける
新テクノロジーが生活の中に入ってきそうになると、「おもしれー」と普及を加速する人と、「危機」を感じ、それを煽る人が出てくる。過去を見るとインターネットもそうであったし、電子書籍やSNS、電気自動車もそうだ。自動運転技術にしても、そういう礼賛派と不安派の拮抗がもっと強くなるだろう。
その点、私は6割楽観的に見ている。一般の生活の中に新しいテクノロジーが入り込んでくる時は、致命的に安全性の欠如したものは普及しないと考えるからだ。
例えば現代の自動車交通。今日の道路は半世紀前に比べて明らかに標識などが多いと思う。これを読みながら正しい運転をするには、人間の情報処理能力はそろそろ超えているのではないか? 加えて、高齢化によって18歳と80歳が同じ道具(=クルマ)を使って、交通システム内を動いているのが現代社会だ。どう考えても既存の自動車交通は限界に来ていると思う。
一方で、自動運転のクルマが普及すれば、90歳を超えて足腰が立たなくなっていても、隣町に住む同年代の恋人のところへだって、ほぼ自力で行ける。「移動の自由」という権利を実行でき、恋人との楽しい時間を過ごせる。尊厳や「社会的な健康」を保つことができるのだ。ここが「6割楽観」の部分だ。
ただし、テクノロジーは日常的な人々の行動や社会的な変化は必須。ここは4割程度の悲観材料として考えている。おそらく近い将来、「今の若者はAIネイティブだ」などと騒ぎ立てることが出てくるだろう。それに伴いAT自動車をコースで運転体験とか、紙の参考図書を使ってキーボードを叩いて文章を作るとか、そんなちょっと前の技術レベルではあるが、ローテクキャンプに類する商売が流行るのではないか。
6割の楽観部分は人間自身が鍛える必要もある。
「AIと人間ができる間のグレーゾーンが出てくる。ここをどうするかがポイントで、企業であれば競争力の部分になる」。1年ほど前、よくそんな話を人にしていた。あくまでも想像力で考えた構造だったが、あれよあれよと現実的な話になってきた。この手の発展はある時期から急速に普及し、進化するが、思っていた以上に早い。
例えばChat GPTは色々な使い方が考えられるが、私は対話を楽しんでいる。GPTに持論をぶつけると、生意気にも「その通りです」と始まり、その理由や、理論構造を文章にしてくる。それらは、おおよそ予想内だが、単語の選び方や、まとめ方、あるいは「その発想もあったか」という意外なものも出てくることもある(使用言語によってもかなり変わる)。その答えを検証する必要も時にはあるが、質問によって、自分の視野を広げる議論ができるのだ。
この体験の範囲からいえば、問いを立てる力がAIの力を引き出す力になる。例えば企業のERPシステム(統合基幹業務システム)にAIが統合された時、営業で得た細やかな情報を追加していき、どんな問いを立てるかで、戦略補助システムとしての真価を発揮するだろう。これが1年前に考えていた「グレーゾーン」のところだと思う。
ところで、恥ずかしながら私自身、30年近くワープロやPCで文章を書いている。手書きだと漢字を忘れていたり、思い出すのに時間がかかる。鉛筆で文章を書く「ローテクキャンプ」にでも参加しないといけないな。(了)
高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら)
ドイツの地方都市、その発展原理を探る
執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。