2022年9月2日 高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
先日、研究者のSさんと話していると、
「日本では、議論が矮小化する傾向が強い」という言葉が出てきた。
私も同様の意見を持っていたので、大きく首肯した。
たとえば「走りながら考える」「まずはやってみる」というやり方は瞬発力であり、この実践性は日本の強みだと思う。だが、これに傾きすぎると、視野狭窄につながりかねないし、議論の矮小化の原因になる。
一方、私は講演などで、特定の課題について俯瞰的な構造を示すことが多い。構造を明らかにすることは、理論的な整理と論点を見つけることに繋がりやすい。ところがこれが、抽象的に見える(しかも偉そうだ)。
実践者の中には「現場も知らないくせに、何を夢みたいなことを言ってるんだ」と思っている人もいるだろう。
実践と理論、両者は乖離しやすい。だが、私は両者を関連付けることこそが大切だと考えている。
1.理論を実践にうつし
2.実践から理論化を行う
というループをどのように作っていくべきか。これが肝要だ。
理論化とは実践(現状)に対して、社会を俯瞰し、根底にある価値観を確認しながら、構造を明らかにしていく言語化の作業といえるだろう。それは将来の予測や、本質的と思われる論点の提示にもつながる。
しかしながら、理論を実践に移そうとしても、決してうまくいくわけがない。だからこそ、その結果を元に再び理論化する必要がある。
この繰り返しで、課題に対する議論の矮小化を防ぎ、強靭な「取り組みの力」が社会的に生まれてくるように思う。
ところで、昨今、日本で「部活の地域移行」という課題が大きくなっている。
実践者の方の話をきくと、挑戦的で勇気ある行動に感服する。同時に理論化の要素を強めて、大きなビジョンが伴うと鬼に金棒だと思う。(了)
著書紹介(詳しくはこちら)
ドイツの地域社会とスポーツの構造を俯瞰的に
執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。