高松:ドイツでマスクをする習慣がありませんでした。言い換えれば、職場でマスクもせずに、安全に仕事をできる状態を維持し、信頼性の高い場所を実現している。
ここで、「職場」を「公共空間」にたとえると、権力介入の説明がある程度つく。
井澤:わかりやすい例です。しかし権力介入といえば、中国の武漢の話を思い出します。
高松:中国でも権力介入は普通のやり方ですよね。しかし欧州の場合ちょっとちがうと理解しています。
安全装置付きの権力介入
高松:うろ覚えなんですが、イタリアの町の歴史を見ても、今でいう健康局のようなところがあって、一種の独裁権力をもたせている。疫病なんかがあると「今年はお祭り中止だ」なんて判断をさせていたらしいです。
井澤:たしかに、すごい権力だ。
高松:やはり宇野重規さんが書いておられたのですが、ローマ時代にね、独裁官という官職があった。緊急時に一時的に独裁官に権力を集中させる。ただし、そういう期間が終わった後に、その独裁官が評価されるんですよ。
井澤:うんうん。
高松:そういうものをずっと見て行くと、ヨーロッパというのは権力の怖さと必要性について、一定の議論を積み上げている印象があります。
日本は権力を上手く使えない国
高松:そういう観点からいえば、日本は権力を上手く使えない国ともいえます。だから、「要請」ということになるのではないか。また、外国では警察がコントロールするなんて話をきくと「やはり外国はおっかないねえ」なんて言葉が出てきます。
井澤:そうですね。
高松:しかし、現在のドイツを見てもそうですが、権力の暴走を防ぐ安全装置を意識している。
井澤:どういうものですか?
高松:たとえば権力のチェックや情報伝達をする新聞などの流通を確保する。デモも最初は感染防止のために禁止でしたけど、条件付きで許可した。権力に異議を申し立てができるわけです。暴走に対する安全装置を権力側自身が取り付ける。実際、権力介入に関する議論が出てきて、「どのような介入が妥当か」が決まっていくようなところがあります。
井澤:なるほど、香港なんかとは180°ちがって、市民と権力の双方向のやり取りがあるわけですね。うまいバランスが保たれています。
デモクラシーと紐付いている
井澤:ドイツの、こういう権力に対する考え方は全体主義に走った体験が反映されているのでしょうか。
高松:そうだと思います。ドイツ社会では独裁者という言葉にとても敏感です。バイエルン州の憲法をみても、下からのデモクラシーでなければいけない、ということが明記してあります。
井澤:なるほど。
高松:これを個人の話にもってくると、政治にいかに参加するかという話になります。そのためには自分の意見の表明・交換が大切です。それに、そもそも意見を形成しなければいけない。エアランゲンの町を見ても、そういう考えに基づく文化関係の施設やプログラムがかなり見いだせるんですよ。
井澤:なるほどね。ナチスの独裁とその弊害という大きな反省の上に立っての行動なんでしょうね。歴史的検証がしっかりしているので、権力とデモクラシーの関係性が明確になっているような気がします。
高松:そうですね。デモクラシー教育について1970年代にガイドラインを作ったりしています。学校教育をみてもそうです。
コロナによって、特に中心市街地が公共空間として重要であることが浮かび上がり、さらにその安全性・信頼性を取り戻すためには、安全装置付きの権力の必要である。そして、それがデモクラシーと紐付いているという構造がよく見えましたね。(次回、最終回に続く)
次回、最終回。 第4回 「滞在の質」という観点から考えよう に続きます。
4回シリーズ 長電話対談 井澤知旦×高松平藏
■公共空間の使い方で都市の質が決まる■
第1回 ドイツの市街地に本棚、その意味は?
第2回 自転車道はどうつくる?
▶第3回 オープンカフェが成り立つ基本的な条件とは?
第4回 「滞在の質」という観点から考えよう
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