東日本大震災から10年。私はネット上で災害の様子を見たのみ。私自身、震災を語る資格はないが、日本人というだけで、ドイツでも不思議な体験をした。そして、帰国のたびに現実の「かけら」のような部分に触れた。個人的な記録として書きとどめておく。
2021年3月11日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
朝起きてネットの様子がおかしかった
当時、すでにドイツに住んでいたが、衝撃的だったのは朝起きて、ネットをあけたとき。あきらかにいつもと様子が違っていた。妙な言い方だが「また」どこかで大型の地震があったのかな、と思ったのだが、予想を上回るものだった。
最初はある中学生だったと思うが、ネットでNHKの中継を見れるようにした。その画像にかじりついた。やがて、NHKそのものがネット配信を始めた。
ドイツにいると、「他人事」のようなところは確かにあって、ネットで見る光景は現実離れしすぎて、映画でも見ているようだった。
一方で現実は「言葉」となってまわってくる。
Twitterでは「サーバーラックが倒れてきて下敷きです。たすけてください」といった投稿がリツイートがされ、私の手元にもやってきた。
実際、友人の中にはエレベーターに閉じ込められた人もいたし、北のほうに住む友人の安否確認がとれずやきもきした。いずれにせよ10日ほど仕事が手につかなかった。
日本の代表になる
未曾有の災害は、かつてチェルノブイリ原発事故を思わせ、ドイツの人たちも関心を持たざるをえない。海外に住んでいた日本人の多くの方は同じような経験があったようだが、瞬時にして「日本代表」「パーソナル日本領事館」となる。
私の家族の安否を訊ねたり、追悼の言葉を述べる電話がよく鳴った。外へ出かけると、それほど話したこともない人が声をかけてきた。面識のない人が白い花を一輪もって、拙宅まで来てくださったこともある。記者会見に出かけると、副市長がわざわざ近寄って「ご家族は大丈夫でしたか?」と尋ねてくれた。
しかし親しい人に「尋ねてくれてありがとう。でも本音では興味があるからでは?」と問うと、「実はそれもある」と返ってきた。
ほかにも、もし日本から非難してくる人がいれば一部屋貸し出す用意がある」と言ってくれた人もいた。こういう申し出をした人はかなりいたようだ。
また地元の新聞からも、コメントを求められた。個人的に知り得た状況を加味しながらも、全体像としてはパニックに陥っていないことから「1995年の神戸大震災の教訓が生きている印象がある」と述べた。
また日頃、日本社会にはつい批判的なことを言いたくなるが、希望的なことも挙げておくべきだと判断。「(神戸の震災以来)社会における連帯と結束の議論が盛んに行われている。この議論の結果が今回の災害でも発揮されると思う」と答えた。
この予想は半分あたりで、半分はずれ。
日本で出てきたのは「絆」である。原理的にいえば「連帯」と異なる。だが当時、鳩山内閣が「新しい公共」を掲げ、少し変わりそうな気もしていた。
帰国で初めて現実のほんの一部分を見る
それにしても、2011年に帰国すると、東京駅などは節電で暗かった。ところが関西へ行けば、もう日常。一度だけ大阪で物資を運ぶ有志の方たちの壮行の様子を目撃した。これでまだまだ普通ではないことを感じた。
その翌年に帰国すると、東京も少し明るくなっていた。そして3、4年もすると、とりあえず東京は「普通」に見えた。
2017年、講演で伊達市を訪ねた。途中の福島駅はお祭りやイベントを思わせるデコレーションが多すぎる、というのが第一印象。申し訳ないが、無理やり元気に見せるようで、切なさを覚えた。在来線に乗り換える通路にはゆるキャラの前にスマートフォンの撮影台があった(=写真上)。
そして伊達市に入ると、あちらこちらに「本日の放射線量」が示されていた。6年もたっているが、初めて現実のほんの一部分を見た。(了)
執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。