ドイツ・エアランゲン市内のスーパーで食料寄付の活動を行う政党スタッフ(2020年10月24日 筆者撮影)

2021年3月10日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)


食料を寄付で募り、困窮者に分配するNPOが私が住む町にある。いわゆる「フードバンク」だ。コロナ禍、ここへの寄付が多かった。政党、スポーツクラブ、教会の若者たちも、寄付用の食料を集める活動を行った。

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こういった助け合いはドイツ(というか欧州)で「連帯」と表現される。専門的な議論がたくさんある概念だが、「困っている赤の他人」を助ける原理だ。難民への支援もこの原理が働く。

私の理解でいえば、「自分ではどうしようもない困難のために自由を謳歌できない」という人を援助し、「自由」に振る舞えるようにしようということだと思う。コロナ禍での連帯は「個人主義の国の団結原理」として機能した。連帯と個人主義はワンセットなのだ。これがなくては、「自由」は長持ちしない。

エアランゲン市内で行われた哀悼と反原発の集会(2011年3月24日)


「フクシマ」のときもすごかった。ドイツの自治体から福島へ援助したいがどうしたらよいか、という相談を受けたこともある。

個人からの申し出もあった。在独日本領事館には「ドイツに非難してきた人のために、自宅の一部を貸し出す用意がある」という人が沢山いた。私も個人的に申し出を受けた。難民のような形で日本から人がやってくると考えたふしがある。それにしても、この援助は「連帯」だった。

「助け合い」という意味で、連帯のかわりに日本で使われるのは「絆」だ。「フクシマ」のときは「絆」の大合唱だった。しかし、コロナ禍ではほとんど聞かなかった。この違いは何なのかが不思議だ。絆は原理的にいえば地縁・血縁がベースになったもので、個人主義の自由とは異なった概念体系だ。そこにその謎を解くカギがあるのだろう。

ひるがえって、冒頭のフードバンクの代表は、「継続的な連帯と支援がやる気にさせてくれる」と昨年5月の新聞報道でコメントしている。(了)


高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら
都市の中で、難民や外国系市民への支援がどのように行われるのか。また「連帯」がどのように発揮されるのかについても触れています。


執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら