高松:フィッシャーとヤーンの共通点は思い込みとか自意識が強いことだと理解しています。ヤーンにいたっては「ビジュアル」にかなり気を遣っていたと思う。肖像画(=下写真参照)を見るとまるで「ハリーポッター」に出てくる魔法使い。生きている時代は違うが、チャドウィックもそんな感じの人だったのかなと。
西村:ふふふふ。はい、芝居がかっていましたからね。俳優だったから当然ですが。
高松:ヤーンの場合、ドイツがフランスに戦争で負けた時代、いわゆるナポレオン戦争(1813-15年)の人です。これを背景に愛国心を強めるといったことを強く意識していて、野山にある戦争の碑なんかを見に出かけ、「祖国に思いを寄せる」といったことをやっていた。
西村:そのへんは、チャドウィックは少し違いますね。彼は国とか組織に対する忠誠とか、そういうものは第二次大戦での従軍体験で辟易としたと思う。彼はどちらかというと自然とのつながりに喜びに見出したのではないかと思う。
高松:なるほど。
西村:彼が若いときに影響を受けたのはシュタイナー。母親からの影響もあり「自分はシュタイナーの生徒ではなく、子供だ」と自称するぐらい心酔していた。私はシュタイナーのことは深く勉強したわけではないのですが、宇宙と自然と人間とのあいだの調和みたいなのね。
ヨーロッパ-アフリカ、そしてアメリカ
高松:どうも、ドイツを見ていると、19世紀後半に都市化への反発があって、健康概念の見直しや自然へ向かうようなところがあります。それを「緑の思想」と言ってもよいかと。こういうものが、シュタイナーなどを通じて、チャドウィックは影響を受けたように見えるんです。
西村:なるほど。
高松:そして西村さんの論文を拝読していると、「緑の思想」はチャドウィックの考え方とも親和性があり、彼はそれをアメリカまで持っていったと思えるわけです。それで、実際どうやってイギリスからカリフォルニアまで移ったのでしょう?
西村:カギになるのが、フレイヤ・モルトケ伯爵夫人というドイツ出身の女性。UCサンタクルーズにつないだ人です。彼女がいなかったら、アメリカで、世界で、チャドウィックは「発見」されなかったと思う。若いころシェークスピアでならした役者さんというだけで、どこかの庭で朽ち果てておわり。笑
高松:日本風にいえばチャドウィックを神輿として発見し、その神輿をかついだ人たちがいるということですね。
西村:はい。当時のUCサンタクルーズに哲学がご専門のポール・リー先生という方がいらっしゃった。今はもう大学を退いて80代の方ですが、当時の菜園プロジェクトで誰を呼ぶかを決める立場の人だった。フレイヤ・モルトケ伯爵夫人の紹介でチャドウィックにつながった。
高松:なるほど。
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