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高松:ドイツ社会は「実践」「理論」をセットで考える傾向がある。それに対して「実践」しかないのが日本です。だから教育でも「役に立つか立たないか」に焦点があたる。

有山:日本はメタ認知ができない。スポーツもそう。「スポーツをどう使うか」ということだけを考えてきました。「スポーツとは何か」「どういう文化なのか」という知的作業はあまりやってこなかった。だから東京オリンピックについても「待っている」と感じる。

高松:というと?

有山:柔道でも「受け」から始まる。先にも言った通り、武道は臨機応変な対応が理想。相手の動き察知してどう動くかに命を懸ける。だから東京オリンピックでも自分から動くのは無理。戦略的な思考は希薄。外国などがなんらかの動きを見せたときに、日本は動く。そんなふうに思えてならない。

柔道はまず「受け」からはじまる。相手の動きに対して、どうリアクションをとるかに重きを置く。



高松:なるほど。一方でそういう武道的な、戦略なき戦術発想の日本にどんな強みを見い出せますか?

有山:まずね、個人的には嫌いではない。(笑)

高松:ふふふふ。 

有山:戦術だけというのは、確かにいろいろ問題もあります。しかし日本の武道的な戦術とは「ぶつからないこと、衝突しないこと」が肝。これが一番効率のよい動き方だと柔道の創始者・嘉納治五郎師範も言っています。

高松:なるほど。

有山:これは、「主張ありき」という欧米の発想では理解が難しいが、「負けて勝つ」ということですね。自国一国主義というナショナリズムが目立つ現代には、むしろ見直すべき姿勢ではないか。


「体育の先生」が出てくるか?


有山:これからのオリンピックに「ヒューマニズムが大切だ」というのが私の意見。もし、これを国が言い出し、空気ができたら、スポーツ界は一気にそっちへ流れるかもしれない。希望的観測ではありますが。

高松:確かに。想像はつきます。

有山:しかし、現状をみる限りまだまだかな。笑

高松:いやはや、なんとも。笑

有山:残念ながら、「スポーツとは何か」といった知的作業は日本でなかなか出てこないでしょうね。いまだに勝利至上主義がはびこるというのは、我が国の社会の枠組みがバブル時代の成果主義のままということだと思う。

高松:黒船が必要です。

有山:そういうことでしょう。外圧があって、よやく戦術が立てられる。日本文化の欠点。

高松:歴史を見ると、黒船ショックの結果、西洋の法制度や哲学をせっせとコピーし、西洋の雛形を使って、国を作ってきたのが日本です。

150年前、日本は西洋諸国からさまざまなものをコピーして近代化を急いだ経緯がある。



有山:はい。

高松:ところが中身はそれほど変わらない。例えるならば、外食するときは西洋式の椅子に座り、自宅に戻るとコタツに足をいれてみかんを食べている。そういうダブルスタンダードというのが日本の現状です。

有山:確かに。ところがね、そういう状態でも矛盾を感じずにひとつの化合物にしてしまう。You を I に取り込んで絶妙な We を作る。これが日本のおもしろいところです。

高松:そうですね。こういうところは絶妙です。

有山:かつての欧米の人たちにとって、武道の面白さはそのへんにあったのかもしれない。ただ、これでは通用しない場合もあるということも理解すべきです。武道授業とか日本文化に関する教育では、そういうことを教えてほしい。

高松:そういう体育の授業は期待できますか?

有山:これまでの教師は、スポーツ技術を教える「スポーツの先生」でした。しかし若い世代はスポーツを起点に様々なことを教える「体育の先生」をしたいという人が増えている。期待したいですね。(了)

対談を終えて 
社会全体からスポーツを俯瞰する試み

個人的な話をすると、スポーツは私にとってほとんど関心のない分野だった。2000年代はじめ「都市の発展」をテーマにドイツでの取材やリサーチを始め、ほどなくして自治体の中の非営利セクターの中で、スポーツクラブの存在が大きいことに気がつく。これがスポーツ分野にも目が行くきっかけになる。

都市との関係を見ていると、スポーツが社会の一部であり、社会を作るエンジンになっていることがよく見えてきた。この部分に焦点をあわせて展開できたのがこの対談だと思う。

私の理解では、有山さんは武道を日本の文化・歴史と関連付け、日本の特徴的な発想を抽出されている。そしてこれをベースに国際比較におよぶ。また高校教諭時代に部活の指導もされていることから部活の実際をよくご存知だ。このご経験は研究者としては強みであろうが、同時に経験を相対化するのにかなり大変な部分もあると思う。

そういう背景をお持ちであることから、日本での問題を整理し、どういう課題を見出だせるかという話は示唆的だった。社会全体からスポーツを俯瞰することができたと思う。(高松平藏)

4回シリーズ 長電話対談 有山篤利×高松平藏
■オリンピックの代わりに何を考えるべきか?
第1回 五輪の価値とは何か?
第2回 コロナ危機、試合中止は問題か?
第3回 「托卵モデル」という日本の構造
→ 第4回 「相手任せ」になる日本の理由(最終回) 

ドイツ・エアランゲンからネットを使って対談。あたかも「長電話」の如く、長尺対談記事の一覧はこちら