地域の「存在インフラ」としてのアーカイブ
ゆるキャラの活躍もピークは過ぎたように思えるのだが、そろそろ彼らの仕事を減らしてやり、その分を地域のアーカイブやミュージアムに注力してはどうだろうか。ゆるキャラが100年後の町の元気の源泉になるとはとても思えない。ドイツの様子を見ながら考えてみたい。
2016年2月26日 文・高松 平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
ゆるキャラの限界
地方自治体のゆるキャラはご当地の歴史や特徴、名産品などをデザインを通して背負い、人畜無害で丸みを帯びた『かわいい』ものでなければいけない。この条件から外れると大騒ぎになる。
たとえば剃髪の童子に鹿の角という奈良県のゆるキャラ、せんとくんの風貌は『気持ちが悪い』、あるいは仏様に鹿の角を生やしたようで失礼だ、と批判を呼んだ。
もっと衝撃的なのが、鳥取城の『かつ江さん』というキャラクターだろう。ボロボロの着物をまとった血色の悪い女性で、飢えのためにカエルまでも手にした強烈な風貌。『渇(かつ)え殺し』と呼ばれる秀吉軍の兵糧攻めを形にしたものだった。2013年末に鳥取市はゆるキャラを公募。『かつ江さん』は応募作品のひとつで次点に。翌年の夏に公開されたが、抗議の声が多く3日で『引退』した。
デザインした高藤宏夫さんは一般市民だが、地元の歴史をまじめに表現した。しかし、『ゆるキャラの表現範囲』を超えていると考えた人が多かったということだろう。言い換えれば、ゆるキャラの限界だ。陰惨な事実は不似合いなのだ。
アーカイブは自治体の存在の源泉
昨年、あるドイツのテレビ局がバンベルクという都市の魔女狩りを扱った番組を放送した。今日の価値観からいえば陰惨で、隠したくなる町の歴史であるが、重要な資料の源泉は同市のアーカイブ(文書館) だった。
ドイツの地方には、地元の歴史的な資料やモノを収蔵するアーカイブがある。自治体の義務だ。町の良い面も悪い面も残った歴史的資料を使って、テレビのみならず、展覧会や出版物、研究が頻繁に行われる。これらを通して都市の成り立ちや愛郷心が表現・確認されるわけだ。
そして、例えば町のミュージアムで展覧会が開かれたときの様子や人々の反応、社会状況が書かれる新聞などもまた記録として残る。
また、やや抽象的な話しだが、『都市とはこのようなもの』という広く共有されたイメージ、一種の物語のようなものが日本に比べてはっきりしており、都市の発達に大きく影響していると思われる。アーカイブはその物語の大きな源泉のひとつだ。
町の体幹としてのアーカイブ
ゆるキャラもアーカイブも、郷土愛や地域アイデンティティに関する分野を担当しているが向かう方向性が異なる。ゆるキャラは一種のマーケティング手法で、例えるならば、 いかにも見てくれのよい、ボディビルダーのような『町の筋肉』だ。それに対して、一流のアスリートは胸・腹・尻など体のコアになる体幹が優れているというが、いわばアーカイブは町の体幹だ。人々の目をひくムキムキの筋肉も必要だろうが、体幹がしっかりしてないと、美しい筋肉もすぐにだめになってしまうのではないか。
もっともドイツの町がなぜしっかりした『体幹』を必要としたのかを考えると、基本的に欧州はヒト、モノの移動がかなり多いことが理由といえるだろう。そういう環境にあっては、自分たちが何者で、どういう立場にあるのかを明示し続ける必要性が高いからだ。またドイツの都市の歴史という観点から言えば、領主に対して自治権の証明が常に必要で、文書や証明書類の蓄積・保管はかなり重要だった。
そういう歴史や環境の違いはあるものの、今日の日本は地方創生という課題をかかえている。幸いよく見ると日本の地方にも歴史資料館やミュージアムの類はけっこうある。地方の存在インフラとしてもっと活用する方法を考えてみてはと思う。(了)
高松平藏 著書紹介(詳しくはこちら)
歴史と文化は「都市の質」を作る
執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト。エアランゲン市(人口約12万人 バイエルン州)を拠点に、地方の都市発展を中心テーマに取材、リサーチを行っている。執筆活動に加えて講演活動も多い。 著書に「ドイツの地方都市はなぜ元気なのか」「ドイツの都市はなぜクリエイティブなのか」など。当サイトの運営者。プロフィール詳細はこちら