自閉症の青少年向けワークショップをしてみた
フュルト市(バイエルン州)の社会福祉施設で今年4月、柔道ワークショップを行なった。対象は自閉症の10代の子供たち約10人。グループの中で少し武道をかじったことのある子供が柔道を知りたいと言い出し、ひょんなことから私に依頼がきた。
雑誌「近代JUDO」(ベースボールマガジン社)2014年7月号執筆分を大幅に変更、加筆
2014年12月28日 文・高松平藏(ドイツ在住ジャーナリスト)
コンセプトは相互の身体を感じること
自閉症とは中枢神経系の機能不全が原因と思われるもので、他人との社会的関係を作りにくく、言葉の発達の遅れなどが見られるという。私はこの分野の専門知識はないが、柔道の練習では必ずパートナーを組む。そこでは相手の身体と対峙し、そして感じる必要性がある。この要素は自閉症の子供たちに有効ではないかと予測をたてた。
一方、私自身はといえば、30代後半から柔道を始めた『へっぽこ柔道家』である。ただ取材を通して社会福祉的な観点からスポーツを展開する例を少しばかり知っている。それらもワークショップのメニューを作るにあたり、ヒントにした。やってみて反省点もあるのだが、内容を紹介したい。
時間は90分で2部構成。第1部は日本文化としての柔道、歴史・哲学など座学要素を、といっても日本についての知識はほとんどない10代が対象なので、絵などを使ってごく簡単に。
第2部の体を動かすパートでは『相互の身体を感じる』ということがコンセプト。柔道の技の原理説明をしつつ、ゲームなどを取り入れたメニューを作った。
『鏡遊び』に『イモ袋投げ』
具体的にメニューの一部を紹介すると、準備運動に『鏡遊び』と称したものを取り入れた。これはどちらかが鏡役になって、相手の動きをマネしていくという簡単なものだが、相手の身体に集中しなければならないゲームだ。
受け身の練習では兵庫教育大学大学院准教授・有山篤利さんらが開発した補助器具『投げ技マイスター』(=右写真)を使用。大きめのハンガーのような形状の道具だが、ペアになりながら、いかに転がるかという身体感覚を安全に習得するのに適している。
最後はトリがマットの上で膝をついての背負投。『イモ袋投げ』という名称にして紹介した。というのもドイツにはジャガイモをいれる麻のズタ袋があるが米俵と同様、今日使うことはない。しかしながら、イメージだけは今も共有されており、それを利用した言い換えだ。これはドイツで私が発明(?)した。
『はい、イモ袋を背負って楽に下ろすような感じにやってみて』というと、比較的すんなり背負投げができるのだ。うむ、今回もすんなりできた。やはりこのイメージはドイツではしっくり来るようだ。
社会共通資本が構成される現場
パートナーを組みながら、『安心感』『楽しさ』を伴いながら、柔道の身体動作を交えていくようにしたが、子供たちはといえば、普段着に帯。素足になるのを最後まで拒絶する者もいる。身体能力の差も大きいので運動としては、それぞれの子供を見ながら進めなければならない。
それにしても興味深いのは二人組でやるプログラム。どういうわけか皆、ものすごく夢中になった。残念ながら私は専門知識がないので、その理由がわからないのだが、自閉症の特性と何か関連があるのだろうか。
さて、ドイツのスポーツクラブをみていると、身体を通じた社交の場を共有することで信頼の網目、つまり『社会共通資本』を構成していくようなところがあるのだが、それは柔道も例外ではない。
日本でおこっている柔道の問題は、競技を重要視してきたことが大きな要因だが、嘉納治五郎によって作られた柔道は実は教育システムであり、社会的にもっと豊かな役割を付している。(了)
著書紹介(詳しくはこちら)
「スポーツクラブ文化」について、たっぷり書きました。
執筆者:高松平藏(たかまつ へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリストで当サイトの主宰者。 著書に「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」など。
2020年には「ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちのつくり方」 (学芸出版 3月)、「ドイツの学校には なぜ『部活』がないのか 非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房 11月)を出版。一時帰国では講演・講義、またドイツでも研修プログラム「インターローカルスクール」を主宰している。プロフィール詳細はこちら。また講演や原稿依頼等はこちらを御覧ください。